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『無気力一代男日記』 11.絵空事の達観に逃避する僕の欺瞞か [俯瞰日記]

 弘前専務が、事務所に来た。
 先日のミスについての話だ。
 例によって、やはり、瀬崎社長が先方に仕事を切られることを恐れているようだ。
 普通に考えれば、千の核ミサイルを前衛、後衛のトータル力で全て打ち落とせば良いはずである (『無気力一代男日記』 10)。
 だが、我々を傭兵として雇っている先方の会社の認識としては、後衛の本来の仕事はミサイルを打ち落とすことではなく、軍事施設の整備だという。つまり、後衛部隊の迎撃は、念のための付帯業務なのである。よって、彼らが核ミサイルを1本でも迎撃せざるを得ないことがあったら、結果的に着弾を防いだとしても、それは、我々傭兵会社の任務不履行となるという考え方だ。
 そして、その責任は、全て前衛部隊( ん? 俺じゃん!)ということになる。
 だが現実問題として、千のミサイルの全てを、前衛部隊だけで打ち落とすのは、不可能なのである。それは、航空会社が、航空機製造会社に、絶対に落ちない飛行機を造ってくれという注文と同じレベルの要求なのだ。
 注文自体に問題があることをまず認識すべきであるということを、この任務の構造の次元から俯瞰して、これまでのデータと併せて、分かりやすく説明したが、弘前専務は、こちらが説明する前と同じ内容の言葉を繰り返すのみだった。
 どうやら話が理解できなかったらしい。
 さらに言えば、自分が理解できなかったことすら理解できなかったようだ。
 
 僕は、爽やかな絶望と共に答えた。
 「分かりました。より真剣に任務に向かい、全ての核ミサイルを迎撃するように頑張ります。」と。
 考えてみれば、バカが自分をバカだと認識できれば、その人は、もはや本質的な意味において、バカではない。
 弘前専務の‘バカ’は、おそらく生涯にわたるのだろう。100パーセント断言はできないが、競馬のレース予想に例えれば、相当に堅い本命である。
 
 正しいことが、その正しさゆえに、常に採用されるなら、あるいは、世界は止まってしまうのかもしれない。
 神は、正しさは、正しさそのものに、あるいは正しいがゆえに、それが力を持つというふうに、単純に、この世界を創造りたもうていない。
 「正義の味方」という言葉があるように、正義そのものに力はない。たまたま、正義に味方するのが強者だったら、それが遂行されるということに過ぎない。
 例えば「ウルトラマン」的な存在が発想されるのは、そこが前提になっているのだ。
 そんな事実による悲劇は、あらゆるレベルで普通に存在する。まるで必要なんだと言わんばかりに、当然の如く、この世界には織り込まれている。
 この厳然とした事実によって最も深刻な悲劇となるのは、たぶん政治、取り分け、国政の次元なのかもしれない。
 本質的に同じ問題が、あらゆるレイヤーに存在し、僕は、僕のレベルで闘っているわけだが、各層の闘いのトータルが、今の世界全体の姿の顕れなのだろう。
 
 レベルの高低、格差は、厳然として存在するが、もし、神がお創造りたもうたこの世界の状態、あるいは形成への影響の度合いが、全ての人たちに平等だったら…。
 一人ひとりの人間それぞれに、生きる価値が平等にあるということになる。
 僕のような無気力一代男にも。また、僕のエゴから見て、僕の心への残酷な加害者に映る弘前専務や瀬崎社長にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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